古典

トライ X と D76 という組み合わせは、もう随分ご無沙汰していた。減感や増感を併せて行うのであれば、恐らくあらゆるフィルムと現像液との組み合わせの中で、一番汎用性のある組み合わせではないか、と思う。 僕がモノクロを初めて使ったのはフジのネオパンだった。それを D76 レシピの自家調合で現像していた。トライ X は僕が生まれる前からあったのだけど、学生がガンガン使うには高価だったように記憶している。 トライ X と D76 というのはご飯に箸みたいなものだろうか。別にフォークやスプーンでもご飯を食べる事は出来るが、やはり箸が一番しっくり来る。今回は最高速が...

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今昔

涙じゃないのよ 浮気な雨に   ちょっぴりこの頬 ( ほほ )濡らしただけさ   ここは地の果て アルジェリヤ どうせカスバの 夜に咲く   酒場の女の うす情け 唄ってあげましょ 女 ( わたし ) でよけりゃ  セイヌのたそがれ瞼の都  花はマロニエ シャンゼリゼ  赤い風車の踊り子の 今更かえらぬ 身の上を ライトの虹を ふみながら 銀座の夜を ひらくバラ    ああ誰が呼ぶ 舞姫の その名はアンナ      東京アンナ うわさのアンナ やわらな肌を 黒髪に かくせど甘き 流し目よ     ああ誰ゆえに 情熱の その名はアンナ...

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いいうた

「君に会いたくて」という歌詞、「ただ会いたくて」という歌詞を、最近では良く耳にする。後に続くのは「君の事が大好き」で、「もう我慢できない」若干背景に違いがあれば「後悔」していて「まだ好き」らしい。あるいは「がんばろう」「がんばれ」の類。これらは素直な感情であって、「ストレートな表現」として若い人たちを中心に受け入れられているらしい。 「いい歌」として。 「歌は世につれ、世は歌につれ」とは誰の科白であったか。時代と共に人の心は移ろい、感じ入る場面も内容も変わっていくものらしい。僕は最早旧世代の人なので、先述の歌詞の良さが全く分からない。...

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山頭火

また、米がなくなつた、しかし今日食べるだけの飯はある、明日は明日の風が吹かう、明日の事は明日に任せてをけ――と、のんきにかまへてゐる、あまりよくない癖だが、なほらない癖だ。 種田 山頭火の言葉のようだ。自由律俳句の代表のような俳人である。もう何ていうか無茶苦茶な生涯の人でもあって、幼い頃に母親が自殺したことから始まって、自身の神経衰弱 ( 現在では自律神経失調症と言われる ) や実家の破産、離婚、関東大震災、自殺未遂エトセトラ、エトセトラ。この言葉を見るだけであれば、自由奔放で豪傑な人であるかのような印象であるが、そういった自分を客観できるという事は、実はそれほど線の太い人ではない気がする。...

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氷雨

写真は先週末の土曜日。ちょうど名古屋では雨が降り始めたころだ。 氷雨というと、あの歌を思い出すアナタは40代だろうか ( 笑 )大寒を迎える季節に降る雨は例外なく冷たい雨になる。 爪先に雨が染みて冷たい。信号待ちでぎゅぎゅっと指先の屈伸をしてみる。じわっと血の通う感覚。 そういえば最後に霜焼けを作ったのはいつだったか。 

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デジタルとフィルムで歴然と違いが出るのが夜の写真ではないか、と思う。もともとデジタルはシャドー部がよく粘る。もちろんデータに基づいているわけではないし、センサやレンズに因っても違うのだろうが、今まで使ってみた総合的な感想である。従ってデジタルで夜の写真を撮ると、実際で目で見るよりも明るく撮れている事が多い。加えて手ぶれ補正や高性能なノイズリダクションが付いているので、明瞭な夜写真が出来上がるのだ。デジタルが市場を席巻した後、夜の写真がかなり増えているのは、そういった理由からだろう、と思う。 フィルムでは精々 ISO3200 辺りが上限ではないだろうか。増感すれば、それ以上も不可能ではないだろうが、フィルムの実効感度などを考え合わせると、あまり意味のない事のようにも思える。...

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わたくし

わたくしの内なる物への執着と、それを対象化する気概が消失していく恐怖を綯交ぜにしているのが、偽らざる心境なのであります。何をどうすれば心晴れやかに成り得るかは、今わたくしが関り合う須くを潔く断ち切るに限るのでありますが、わたくしの本性であるところの執着が両手いっぱいの荷物を抱えた途端ににじり寄って来るのであります。 

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